小松姫(大蓮院) 真田一族を支えた信之の妻

真田家

本記事の内容

小松姫(大蓮院)ってなにした人?

徳川家康の側近本多忠勝の娘。真田信之の正室となり真田一族を支えた。

いつの時代の人?

戦国時代~江戸時代初期
1573年 本多忠勝と松平玄鉄の娘との長女(稲姫)として生まれる。なお、小松姫の小松は尊称であり名前ではない。

1589年 徳川家康の養女となり真田信之と結婚。

1620年 病気療養のため草津温泉に向かう途中亡くなる。48歳。



どのような人生だったか

1589年 徳川家康の養女となり真田信之と結婚。16歳。

▶真田信之との結婚の際、何人かの婿の候補者を並べ、その中から一番気骨のある信之を選んだとする逸話があるが、小松姫が男勝りの女性との伝承から来た作り話と思われる。

実際には当時徳川家康に人質として出仕していた信之を、家康本人が気に入り、徳川4天王と言われた側近の本多忠勝との縁戚で信幸取り込みを図った。一方豊臣と徳川の狭間にいた真田は徳川に大きな足掛かりを持った。後に真田の次男信繁(幸村)が豊臣の奉行大谷吉継の娘と結婚し真田は両雄に縁戚関係をつくる。

小松姫との縁談を徳川嫌いの昌幸が反対したため家康の養女として結婚を決めた。こうして観るとこの婚姻は政略結婚以外の何物でもないと考えられる。

1597年 次男信政誕生。以後信重と2人の娘を産んでいる。なお、長男信吉は静穏院の子ともいわれ定かではない。

1600年 沼田城にて義父義弟の入城を拒む。

▶この時義父真田昌幸と義弟信繁(幸村)は石田三成の挙兵を知り、上杉景勝征伐から引き返し上田城帰還の途中、孫の顔が見たいと沼田城へ立ち寄る。小松姫は「舅、義弟といえども敵になったお方を城主の留守に一歩も城内にはお通しできない」と拒み通した。しかし、二人を近くの寺に案内し酒肴でもてなし孫達にも合わせている。

1614年 大阪冬の陣で病気療養中の信之に代わり、長男信吉、次男信政が沼田城から急遽出陣となる。小松殿は二人の初陣であること、信繁(幸村)が大阪城に入城したことを、信之の重臣に文書で伝えている。

1615年 大阪夏の陣で、信吉の家臣宛に「信吉については若いので信之のようにはいかないでしょうが、信之に免じて陣中精を尽くして奉公をお願い致します。」との書状を送っている。

▶夏の陣で義父義弟が高野山九度山に配流になると、物品等をおくり義父達を慰める優しさがあった。

1620年 小松殿は病気を患い江戸から草津温泉へ湯治に向かう途中武蔵国鴻巣で亡くなる。48歳。

▶信之が松代移封2年前であった。信之は小松殿の墓大蓮寺を上田、松代に建立する。小松殿の没したことを聞いた信之は「我が家の灯火は消え失せたり」と漏らしたという。

後世に残したものは何か

戦国の世、親兄弟が敵味方となる中、真田の家族の結束の強さが変わらなかったことは多くの文献が証明している。

そのキーパーソンは、実は小松殿の家族からの信頼の厚さであったことは疑いないと思われる。

昌幸、信繁(幸村)の救済も表で奔走したのは信之であったが、小松殿の父、本多忠勝をも動かせたのは彼女の存在あったればこそである。

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