真田幸村は架空の人物?幸村(信繁)はなぜヒーローになれたのか

真田家

本記事の内容

真田幸村ってなにした人?

真田幸村は架空の人物です。幸村の名は江戸時代になって「難波(なにわ)戦記(せんき)」などの軍記物語や講談で語られた名で、真田信繁の大阪の陣での戦いをモデルにしたものである。

なぜ信繁の名を使わなかったか。真田は徳川軍を上田合戦で2度までも敗退させ、大阪の陣では家康に自刃を覚悟させるまでに追い詰めた。

信繁をヒーローとした書物は発禁となり、作者は幕府の処罰をうけるのは必定。「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と讃えられた信繁の実名は使えなかった。それでは以下、彼が戦国最後の英雄と謳(うた)われたわけを探ってみよう。

いつの時代の人?

1567年 真田昌幸の次男、信之の弟として生まれ、幼少期を武田の人質として過ごす。
1615年 大阪夏の陣で徳川家康の傍近くへ追い詰めるが討ち死に 信繁49歳

▶信繁(幸村)に関する資料はほとんどないと言える。最近発見された自筆文書を含めてわずか7通の家族に宛てた手紙がある。当時は家督相続する嫡男以外の子弟、子女の資料はほとんど残されていない。以下の史実は彼の周辺人物の資料に書かれていたものがほとんどである。



どのような人生だったか

1582年3月 武田滅亡。兄と共に甲府脱出。信繁15歳。

父、昌幸は主君を織田、上杉、北条、徳川と変える。沼田領をめぐり徳川と対決を決め上杉に頼る。信繁は人質として後に兄信之が城主となる海津城(長野市松代町)に送られる。
▶上杉景勝は信繁を家臣として迎え屋代氏の所領三千石を与え、直江兼続は信繁に軍法を教えた。

1586年 第一次上田合戦で徳川を敗走させたが再び真田攻めの準備を始めたので、昌幸は秀吉のもとに人質として信繁を送る。
▶信繁は秀吉にも気に入られ、左(さ)衛門(えもん)佐(のすけ)の官途名をもらう。天下人の治世を学ぶ。

信繁は豊臣の奉行の一人である大谷吉継の娘(安岐)を妻とする。この頃から真田家は徳川、豊臣の双方に縁を持ち生き残りをはかっていた。

1600年 信繁34歳 信幸は徳川軍の江戸へ行き、信繁は父と豊臣に付くことを表明し上田城に帰還。家康嫡男の秀忠は徳川の主力を率いて上田城を落とし関ヶ原に向かう予定だった。

15年前の上田攻めと同じく真田の戦術に翻弄され、9月15日の関ケ原決戦に間に合わないという失態を冒す。
この勝利で「真田強し」の名が高まる。しかし、豊臣敗戦のため、昌幸、信繁は信之の助命嘆願により高野蓮華定院に幽閉となる。

1611年 昌幸65歳で九度山に病没す。九度山での生活は困窮し信之の資金援助を頼みとし、心身共の衰弱があった。九度山での父子は上田か江戸での生活を望んだが許されなかった。

1614年 関ヶ原から14年、徳川と豊臣の対決は避けがたくなり、かつて2度にわたり徳川を破った知将真田昌幸の子信繁が注目され10月秀頼からの招聘を受ける。条件は金200枚銀30監兵5000,勝利の暁には50万石の大名というものだった。時に信繁48歳初老であった。

10月9日 家族と数名の家臣と九度山脱出。
▶この時期九度山領主浅野氏は村人に信繁監視を言い渡していた。
村民の信繁への同情と共感が暗黙裡に彼らを見逃した、とされている。

10日 信繁、大阪城入城時には300の手勢となっていた。真田勢は幟(のぼり)・指物(さしもの)・具足(ぐそく)・兜(かぶと)、赤一色の「赤備え(あかぞなえ)」でひときわ目を引いた。戦の経験のない豊臣家臣団と金で集めた浪人9万7千、徳川19万5千が集結。信繁は真田丸構築に乗り出す。

11月19日 両軍対決、大阪の陣の火ぶたが切られる。真田丸に攻撃を仕掛けた前田勢、松平勢、井伊勢は真田の銃撃にさらされ戦死者数千、なすすべなく退却した。

12月18日 徳川の大砲に驚いた豊臣は和議交渉に入る。
▶女性主導の和議交渉だった。戦いを知らない大阪方の虫の良い条件と交換に真田丸を含め、全ての堀を埋め城の破却も受け入れた。現在では豊臣自ら城を破却したという見方がなされている。

1615年 大阪夏の陣 徳川軍15万5000 豊臣軍5万5000
家康の言いがかりとも言える無理難題が大阪方を追い詰める。

裸城から出撃せざるを得なくなった大阪の武将、木村重成、後藤又兵衛は討ち死に、長宗我部盛親、真田信繁も退却。

5月7日 天王寺付近を決戦の場と決め、真田は3500の兵を率いて徳川家康本陣に3度に渡り襲い掛かる。「目指すはただ家康の首」
家康本人も死を覚悟した。

この時の真田の奮闘ぶりに徳川方の諸将も大きな感銘を受けたと伝えられる。しかし3度目の突撃の後安居神社で休息をとっていたところを松平忠直配下の者に打たれる。信繁49歳。

後世に残したものは何か

戦場に散った幸村(信繁)は政治、軍事において敗者である。歴史上敗者は忘れられるか、歪曲されて伝えられる。

しかし幸村(信繁)は死後、生前以上の評価を受け人々に愛される。歴史に名を遺す一つのモデルとなったと言える。

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